すべての始まりは,稚内南中学校での昭和61年 第2回文化活動発表会に遡ります.文化活動発表会は他校でいうところの学芸会に当ります.ただし,クラスや学年による発表ではなく,文化部による作品や演奏等の発表,そして運動部は劇や踊りを発表するほか,その運営にも生徒達が主体的に関わり,保護者はもちろん,地域に日頃の感謝を示す機会としています.
その舞台でソーラン節そのものの原点となる「沖揚げ音頭」を披露し,前年よりも良いものをという精神のもと,第6回からは当時流行していた「一世風靡セピア」などを参考に,衣装もTシャツにジーンズといった斬新的な発表を行い,大きな評判を呼ぶようになりました.
そのうち,南中のソーラン節,南中ソーランと呼ばれるようになり,稚内南中学校でも平成12年 第16回文化活動発表会から「南中ソーラン」と呼ぶようになりました.
文化活動発表会では,ゆったりとした曲調の民謡ソーラン節を踊っていましたが,当時テレビCMで使われた伊藤多喜雄さんのロック調と呼ばれるソーラン節と出会い,これを踊りに取り入れ大きく変わっていきました.伊藤多喜雄さんが歌うソーラン節のうち,次の2曲が有名です.
「タキオのソーラン節」「TAKIO'S SOHRAN 2」
「TAKIO'S SOHRAN 2」は稚内南中学校が踊るほか,映画やドラマで使用されたことから特に有名です.
文化活動発表会に向けて,教員が深夜遅くまでニシン漁ひとつひとつの所作から踊りの振付けを考えました.
そして,生徒の意見も取り入れながら,稚内南中学校の「ソーラン節」が生まれました.
平成4年 テレビ番組の取材で稚内を訪れた伊藤多喜雄さんが,自分の曲で踊る中学生を知り,稚内南中学校を訪れ,番組終盤の伊藤多喜雄さんが歌うコンサートシーンでは生徒が踊りを披露していました.
その後,伊藤多喜雄さんの紹介で,北九州を拠点とする舞踏家の「春日壽升(かすが じゅしょう)」さんによる磨き上げを受けて,平成5年 全国民謡民舞大賞にて大賞にあたる内閣総理大臣賞を受賞しました.
全国民謡民舞大賞はテレビで放送されていたこともあり,中学校が大賞を受賞したというニュースはすぐに全国に広がり,自分たちの学校でも是非取り組んでみたいと,沢山の問い合わせが稚内南中学校にありました.
その後,平成5年からは北海道札幌市で開催される「YOSAKOIソーラン祭り」に招待され,平成10年には稚内南中学校とソーラン節を題材とした安達祐実さん主演の映画「稚内発-学び座-」が公開され,さらには平成11年 ドラマ「3年B組 金八先生」でもソーラン節が取り上げられ,その知名度は全国的なものになりました.
平成15年には,第54回 NHK紅白歌合戦の会場で伊藤多喜雄さんが歌い,稚内南中学校の生徒が雪面のグラウンドで踊る様子が中継されました.
南中ソーランはYOSAKOIソーランではありません.
すべてYOSAKOIソーランと捉えられがちですが,「よさこい」と「YOSAKOI」も異なるものです.
歴史順でいえば,「ソーラン節」は江戸の頃から,高知県の「よさこい祭り」は昭和29年から,「南中ソーラン」は昭和61年から,そしてソーラン節とよさこいの要素を掛合わせたものが,北海道の「YOSAKOIソーラン祭り」として平成4年に誕生しました.
このため,ひらがな「よさこい」は高知県.アルファベットまたはカタカナ「YOSAKOI(ヨサコイ)」は北海道のものと判断することが出来ます.
また,それぞれにルールもあります.よさこいは手に鳴子という打楽器を持ち,鳴子を鳴らしながら前進する踊りで,曲のどこかに「よさこい鳴子踊り」のフレーズを入れること.「YOSAKOI(ヨサコイ)」は手に鳴子を持って踊ること,そして曲にソーラン節のフレーズを入れること.またステージ発表が中心のものが多く,前進を前提としていません.
全国では鳴子を持ってソーラン節を踊る学校や団体もありますが,「南中ソーラン」は鳴子を持たないため,よさこいでもYOSAKOI(ヨサコイ)でもないのです.